滝廉太郎「荒城の月」が山田耕作編曲だった事ご存知でしたか?(たった1個の4分音符を半音下げただけで劇的に日本感を向上させた彼もまた偉大だ)

Taki_Rentaro Wikipedia

ほとんどの日本人には耳にしたことがあるであろう滝廉太郎が作った「荒城の月」が山田耕作によって編曲されてた事ご存知でしたか?

その編曲内容がたった一個の4分音符の音を半音さげただけで劇的に日本の曲らしくなったという事実を

子供のころはまったくといって良いと思えなかった日本古来の童謡や唱歌ですが年食ったせいか場合によっては涙がでるような昨今です(笑)

現在取り組んでいるメロディーを耳コピして採譜する練習に良い曲をいつものごとく愛読書の野ばら社刊行「日本のうた」で探していたら比較的リズムが簡単そうな荒城の月を見つけたんです。

この日本のうたがどこが良いってコードも全曲付いてるしJASRAC委託曲かどうか把握できるのが良いですよ!収録曲の豊富さも随一でコード耳コピや楽譜勉強のお手本に重宝しています。

そこで大好きなWikipediaで荒城の月を調べてみたら今知られている荒城の月は山田耕作が編曲した版だというじゃないですか!

『荒城の月』 (こうじょう/くわうじやう・の・つき) は、土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲による歌曲。哀切をおびたメロディと歌詞が特徴。非常に悲しげである。七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した楽曲。

1903年(明治36年)に瀧が没し、その後の1917年(大正6年)山田耕筰はロ短調から短三度上のニ短調へ移調、ピアノ・パートを補い、旋律にも改変を加えた。山田版は全8小節からテンポを半分にしたのに伴い16小節に変更し、一番の歌詞でいえば「花の宴」の「え」の音を、原曲より半音下げて(シャープをとって)いる[1]。

荒城の月 – Wikipediaより

なぜ山田耕作氏が#をとったのかといえばWikipediaによれば

作曲家の森一也によれば、1927年(昭和12年)の秋、東京音楽学校の橋本国彦助教授が概略次のように語ったという[4]――欧州の音楽愛好家に「荒城の月」を紹介する際は、山田耕筰の編曲にすべきである。滝廉太郎の原曲は「花のえん」の「え」の個所に#がある。即ち短音階の第4音が半音上がっているが、これはジプシー音階の特徴で外国人は日本の旋律ではなくハンガリー民謡を連想する。それを避けるために山田は、三浦環に編曲を頼まれた時[5]、#を取った。外国で歌う機会の多い三浦にとっては その方が良いとの判断だったのだろう。

とのことです。

早速わが愛機カシオハンディーキーボードSA-46で半音上げ下げして弾いてみたら凄いです!確かに劇的に印象が変化するんですよ。

お手元に楽器があれば是非半音上げ下げして弾き比べて印象がどう変化するか確かめてみて欲しいです。私は#がない方のメロディーに日本感を感じました。

確かに滝廉太郎オリジナル版の半音付きは現代音楽的な匂いがしてあか抜けた印象ですが日本の曲らしさは山田耕作編曲版の方がぐっと増していると感じました。

両バージョンごとの楽譜と演奏動画を下記につけますのでご参考ください。

調はAマイナーに移調しています。

 

滝廉太郎さんと山田耕作の年齢差は山田耕作さんの方が約7歳下なんですね。ほぼ同時代を生きた音楽家だったんですね。

滝廉太郎さんは23歳という若さで早世していますがもしもっと長く生きていれば歴史に残る傑作曲が生まれたはず。

瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年(明治12年)8月24日 – 1903年(明治36年)6月29日)は、日本の音楽家、作曲家。明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人である。

一般的には「瀧」は「滝」と表記されることも多い。

滝廉太郎 – Wikipediaより

 

山田 耕筰(やまだ こうさく、Kósçak Yamada、1886年(明治19年)6月9日 – 1965年(昭和40年)12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。山田 耕作としても知られる。

山田耕作 – Wikipediaより

最後にYoutubeにあった荒城の月動画リンクを明記します。是非聴いてみてください。

荒城の月 – hijinavi 大分県日出町公式チャンネルより⇒https://youtu.be/5nUDOW8N7Bo

「魔法はいまここに在る!」いまここで練習していつの日かできるようにお互いがんばりましょう!

ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。

コメントを残す

コメントは管理者承認後に表示されますがどうかお気軽にコメントくだされば幸いです

下記名前は空欄可能です(任意入力)

CAPTCHA