「大きな古時計」歌詞を翻訳した作詞家、保富康午(ほとみこうご)氏はなぜ原曲3番歌詞をカットしたのだろうか

当サイトでは採譜練習課題やアウフタクト(強拍)の説明などにかなり利用させてもらっている不朽の名曲「大きな古時計-My Grandfather’s Clock」ですが馴染みある日本語歌詞を翻訳された保富康午(ほとみこうご)氏はなぜ原曲3番の歌詞を翻訳しなかったのでしょうか?

ざっとネットで調べてみましたが3番の歌詞をカットした理由は見つかりませんでした。

原曲歌詞3番はウィキによれば

My grandfather said that of those he could hire,
Not a servant so faithful he found.
For it wasted no time, and had but one desire,
At the close of each week to be wound.
And it kept in its place, not a frown upon its face
And its hand never hung by its side.
But it stopped short, never to go again
When the old man died.
CHORUS

大きな古時計 – Wikipediaより

大まかな内容は歌詞中の大きな古時計ぐらい信頼できる時計はなかったと時計を褒める歌詞になります。

これは私の全くの想像です原曲中の「Servant」をどのように日本語に訳すか迷われてカットしたのですかね

この”Not a servant so faithful he found.”を直訳すれば”ここまで信頼できる(召使or下僕or公務員)を彼は見つけられなかった”ですから子供に召使もしくは下僕などの用語を説明するには少し早いと考えたのかもしれませんね。

このServantをうまく時計としてすっきり意訳された和訳歌詞を掲載しているサイトがありました。

とても参考になったので是非読んでみてください。(英文和訳の良いお手本になりました)

大きな古時計|Grandfather’s Clock – 英語の歌であそぼ⇒https://cucanshozai.com/english_song/2010/01/grandfathers-clock-original.html

原曲の大きな古時計が作られた1876年(明治9年)はアメリカ合衆国の奴隷制度が終わった1865年から約11年しか経過していない時期でありモデルとなったおじいさんが生きた時代はもろ奴隷制度がまだ存在していた時代です。

新しく作られたアリゾナ準州では、1863年2月24日のアリゾナ基本法で奴隷制を廃止した。ケンタッキー州を除きテネシー州などの境界州は1865年早くまでに奴隷制を廃止した。北軍が南部に侵攻するにつれて解放宣言が執行され解放された奴隷がいた。残る南部の州に解放が実際に訪れたのは1865年春のアメリカ連合国軍の降伏の後であった。当時テキサス州には25万人以上の奴隷が残っていた。連合国崩壊の知らせが届いた所から奴隷が解放されていった。決定的な日は1865年6月19日であった。テキサス州やオクラホマ州などでは、その知らせがガルベストンの最後の奴隷まで届いた日として6月10日を記念して祝っている。

法的にはケンタッキー州[35]の奴隷約4万人が解放されたのが最後だった。これは1865年12月、アメリカ合衆国憲法修正第13条の批准が成立した時であった。

アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史 – Wikipediaより

保富康午氏はモデルのおじいさんが生きた時代を考慮にいれてセンスティブなワードを避けたのかもしれませんね。(全くの素人考えです

ところで保富康午氏のWikipediaや他のサイトも取り上げているのでご存知の方もおられるかもしれませんが氏の経歴はとても興味深い人生でした。

参考までにWikipediaと保富康午氏について書かれた記事のリンクを掲載するのでご存じない方は是非読んでみてください。

いい話のネタになると思います(笑)

保富 康午(ほとみ こうご、1930年3月2日 – 1984年9月19日)は、日本の作詞家。和歌山県西牟婁郡すさみ町出身。

TVアニメ関係では、『ドカベン』『おれは鉄兵』『一球さん』『宇宙海賊キャプテンハーロック』『科学忍者隊ガッチャマンII』『タイガーマスク二世』などに代表されるような有名な作品の作詞を数多く手がけている。また、モータースポーツに造詣が深く、スーパーカーブームの際東映動画で『アローエンブレム・グランプリの鷹』が制作された際には、主題歌の作詞のみならず、原案と監修を担当している。アニメソングはフジテレビ系列で放送された作品が大半を占めていた。

1984年9月19日、54歳で死去。

生前保富は森進一のコンサートを全て仕切っていた時期が有った際、森の代表曲『おふくろさん』に補詞を付けることを提案していた。しかし、これが皮肉にも2007年に森進一と、作詞家・川内康範と………………..

保富康午 – Wikipediaより

多彩な仕事をされていた方だったのですね。

保富康午(ほとみ こうご) 大きな古時計特集⇒http://www.worldfolksong.com/gfc/text2/hotomi.htm

貴方も知っているはず!作詞家・放送作家の保富康午 – Middle Edge(ミドルエッジ)⇒https://middle-edge.jp/articles/QDafm

もしも保富康午氏が早逝せずに一斉を風靡した「おふくろさん騒動」が起きたときに同じ作詞家として川内康範氏とどのように対応していたのでしょうか。

想像が膨らみます。

幸い現在騒動も収まり森進一さんもはれて「おふくろさん」を歌うことができるのは何よりですね。

おふくろさん騒動(おふくろさんそうどう)は、作詞家・川内康範が作詞した楽曲「おふくろさん」の歌詞を、同曲の歌い手である歌手・森進一が勝手に改変したとして、2007年(平成19年)に発生した騒動である。

解禁へ[編集]
2008年(平成20年)11月6日、森は川内の長男で弁護士の飯沼春樹と共に記者会見を行い、「今後は川内康範のオリジナル作品のみ歌唱すること」を条件として、同曲を含めた川内が作詞した全33曲を森進一が歌唱することを承諾されたことを発表した[3]。川内の妻などから委任状を取っていた飯沼は記者会見の席で「(既に当事者の一方が逝去しているため)和解ではない。これは川内が………………

おふくろさん騒動 – Wikipediaより

素晴らしい名曲を作り出した先人に敬意と感謝の心をあらためて送りたいと思います。

ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。

スポンサーリンク

コメントを残す

コメントは管理者承認後に表示されますがどうかお気軽にコメントくだされば幸いです

下記名前は空欄可能です(任意入力)

CAPTCHA